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四季の詩

自然農や普段の生活を通して感じたことを綴ったブログです。

親父のこと

昨日2月6日は親父の命日だった。

亡くなったのは平成14年だからもう15年前のことになる。

直接の死因は肺炎だったけど当時ALS、日本語の病名で言うと「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)」という舌を噛みそうな名前の病気を患っていて、確か平成13年の9月か10月かにALSの専門医がいる今の兵庫中央病院に入院してその年の年末と翌年始の外泊中にひいてしまった風邪が元の肺炎だった。

このALSという病気はご存じの方もいると思うけど全身の筋肉が衰えていくことで身体を動かすことができなくなり最後は呼吸も瞬きさえできなくなる未だに原因不明とされている難病なのだが、脳や聴覚など衰えない部分もあるため意識や思考は正常で人の話も聞こえるけど話すことや瞼や眼球も動かすこともできなくなり意思表示や人との意思疏通ができなくなるとても残酷な病気。

亡くなる前はまだ言葉がは話せないほど進行はしていなかったけど自分では身体を動かせない状態になっていて最後は肺炎で苦しく話すことも呼吸もとても辛そうにしていたのを今でも覚えている。

親父は僕が今住んでいる能勢に昭和6年1月10日(ほんとは前年の12月に生まれたそうで両親が役場に出生届けを出したのがこの日だったから誕生日がこの日になったらしい)に8人兄弟の5番目で三男として生まれた。兄弟の中でも一番にぎやかで世話好きでよく動く人だったけど兄弟の中で一番先に逝ってしまった。

そんな親父だけど会社員時代は単身赴任が多かったせいで僕には親父と遊んでもらったりして一緒に過ごした記憶や想い出はほとんどない。強いてあげればたぶん幼稚園の頃に添い寝をしてもらいながら桃太郎やカチカチ山などの昔話を語って聞かせてくれたこと、小学生の頃に親戚と琵琶湖と土佐に海水浴に行ったぐらいしか記憶がない。本人がもし生きていれば「もっとあるやろう!」って突っ込まれそうだがほんとうにそのぐらいしかない。

僕が高校生か大学生の時に脱サラして今僕が住んでいる能勢のこの場所に工場を立てて自営の仕事を始めてからは一緒に生活していたけど、その当時は反抗期でほとんど話することもなかったし、特に大学受験前にはイライラしていてかなり酷いことを言ってしまったこともあってほとんど会話らしい会話はしなかった。社会人になって少しは話すこともあったかもしれないけど結婚して家を出てしまってからはもっと話さなくなってた。

だから僕は親父のことをほとんど知らない。そのことに気付いたのは亡くなる前だった。親父がどんな想いで人生を過ごしてきたのか、どんな苦労をして、楽しかったことはどんなことか、幸せだったのかいろいろ聞いてみたいことだらけだけどもうそれも叶わない。

親父からすれば出来の悪い息子だったかもしれない。事故で四回も入院したり勉強しなかったから成績も悪く進学など心配をかけることはたくさんあった。でも、僕が小学五年生の時に実家のある川西に家を建て、僕を大学にやり、結婚資金も出してくれた。大学を卒業して随分後になって聞いた話だが僕が大学四回生の秋にバイクで事故をして長期入院して学校を休んでしまったときにゼミの先生に就職が決まっているので卒業だけはさせてくれと頼みに行ってくれてたそうだ。若い頃さんざん偉そうなことも言ったけど僕には自分の娘たちにそれだけのことは出来てないしこれからもできないと思う。

結婚して子供が生まれても僕のことを「まーくん」と呼び続けられてた(笑)のがほんと恥ずかしかったけど今思えば凄いことをたくさんしてくれていてとても愛されてたんやなと思う。

話はほとんどしなかったけど親父には僕のことが全部わかってたみたい。

心残りなことや、してあげられなかったこともたくさんあるけど唯一よかったと思うのは亡くなる前日の夜に思い立ってというか何か胸騒ぎがして仕事が終わってから病院に行って小さい頃に聞いた昔話の想いでやこれまでの感謝の言葉をぼそぼそと小さい声で話しかけることができたこと。病院に着いた時は消灯時間も過ぎていて眠っているように見えたけど聞いてくれていたかも知れない。もし聞いてくれてなかったとしても生きているうちに感謝の言葉を直接伝えてお別れができたのはせめてもの救いだった。

僕も親父と同じような歳に脱サラをし、親父が建てたこの工場跡に昨年半年かけて改装して親父が子供時代を過ごしたこの能勢で暮らし、今このブログを書いているのも何かの因縁を感じる。僕の居場所を親父が三十年以上も前に作ってくれていたなんて。

そして今も僕やお袋、姉夫婦、離婚した嫁さんや子供たちを見守ってくれていると感じる。

僕がこの世を去るときが来てあの世で親父と再会できたら聞きたかったことをいろいろ聞こう。二人とも下戸なので酒は酌み交わせないけど甘いものでも食べながら。(笑)

心からありがとう。

また会える日まで。